電機連合/東北ボランティア in陸前高田市

2022.6.2【現場レポート

   

全日本電機・電子・情報関連産業労働組合連合会(電機連合)では、2014年から被災地支援活動として「東北ボランティア in 陸前高田市」を実施しています。コンセプトは「被災地と心をつなぐ活動」。ただ作業をするだけでなく、現地の方々と“つながる”ことを大切にしながら活動に取り組んできました。担当者として毎年現地に赴き、現地の方々と心を通わせ一緒に汗を流してきた弓場 孝紀さん、2年前に担当者に就任してから、コロナ禍での活動を模索されてきた小林 勝也さんの2名にお話を伺いました。

 

― 電機連合の「東北ボランティア」では、どのような活動をしているのですか?

本プロジェクトに開始当初から関わっている弓場さん。2014年の第1回から現在にいたるまで、すべての東北ボランティアに参加しています

 「被災地と心をつなぐ活動」をコンセプトに、2014年から岩手県陸前高田市で復興支援や環境保全活動に取り組んでいます。これまでさまざまな活動をしてきましたが、開始当時からずっと続けている主な活動は、松の植林と、七夕まつりの山車引きです。
 陸前高田市には高田松原と呼ばれる松林があったのですが、有名になった「奇跡の一本松」を除くすべての松が津波で流されてしまいました。私たちは、現地のNPO法人「高田松原を守る会」と協力して、その松林を再生させる取り組みを行っています。苗床を整備するところから参加して、種から苗を育て、2017年に3,000本、2018年に3,500本、2019年に3,500本を植栽しました。
 また、被災地の皆さんとの交流も重視しており、陸前高田市の「うごく七夕まつり」に毎年参加させてもらっています。地元の皆さんと一緒に山車を引いて、町を練り歩き、その後一緒に食事をしたりして、つながりをつくってきました。

現担当者である小林さんは、コロナ禍でも被災地と心をつなぐ方法を模索しているそうです

 「楽しかったなあ」だけで終わってしまわないように、5泊6日のプログラムの最初には、被災地の視察や防災研修を行いますし、最後にまた学習会を開き、参加してみて感じたことを共有したり、市長や商店街の方のお話を聞いたりしています。
 残念ながら、コロナ禍でこの3年は活動ができていません。現地に行かなくてもできることを模索し、草刈り機の寄付などを行っています。ただ、これまでの活動のなかで現地の方と仲良くなって、電機連合を介さず個人的に七夕まつりに参加されている方もいます。団体としては行けなくても、そういう話を聞くとうれしく思います。
 

― その活動は、どのような経緯で始まったのですか?

高田松原の再生に向けて、地道に植林を続けています

 電機連合には「美しい地球・幸せな暮らし」という基本理念があります。その実現のため、1994年から「地球・愛の基金」事業として、東南アジアと中国を中心に植林ボランティアを行っていました。東日本大震災以降は、国内に目を向けた活動を求める声が多くの組合員から挙がり、東北の被災地支援を検討し始めました。
 被災地の状況はどうなっているのか、どのようなニーズがあるのか、そして私たちに何ができるのか。NPO法人に間に入っていただいて、現地の方々の声を聞き、調整を続けた結果、2014年に陸前高田市に行くことが決まりました。震災から3年が経っていましたが、津波を受けた漁港が使いものにならない状態のままだったので、最初は漁港の洗浄作業のお手伝いから始まりました。
 

― 活動のなかで苦労したことや、よかったことを教えてください。

町の人々の誇りを背負った山車を一緒に引かせてもらい、交流を深めてきました

 現地の方との信頼関係を構築するまでに、少し時間がかかりました。東北の土地柄か、シャイな性格の方が多く、会ってすぐに心を開いてもらうというわけにはいきませんでした。また、それまでに東北を訪れたボランティア団体が、2~3年も経てばぱったりと来なくなってしまうケースが多く、私たちも最初は「どうせ何度か来て、思い出づくりをして、満足したら来なくなるのだろう」と思われていたのかもしれません。
 それでも何年か活動を続けているうちに、自然と信頼関係が生まれてきました。そうなれば東北の方は情に厚いですから、どんどん距離が近づいてきます。私たちは活動中、お互いニックネームで呼びあうことにしているのですが、現地の方々がそのニックネームで私を呼んでくれるようになった時はうれしかったですね。
 また、七夕まつりの山車引きに参加し始めて何年か経った頃から、太鼓を叩かせてもらえるようになりました。現地の人にとって、七夕まつりはとても神聖で大事なものですから、「太鼓を叩けるのは町の人だけ」という空気があったんです。「叩いてみなよ」と声をかけてもらえた時、心を開いてもらえたんだと感じました。まあ、全然うまく叩けないんですけど(笑)。

 

― 今後の目標や、活動の展望について教えてください。
 震災から10年以上が経ち、道路や建物などのハード面はだいぶ整備されてきたように見えます。ただその中身といいますか、町としての活気のようなものは、まだまだ盛り上げる余地があるのではないかと感じています。震災をきっかけに地元を離れた人が、戻りたくても働き口がなくて戻れないといった問題もあります。
 陸前高田の方々からよく聞くのが、「被災した町だ、悲しいね、大変だね、というのではなく、“今”の陸前高田を見てほしい」という願いです。私は、電機連合が被災地とつながるだけでなく、そのつながりをもっと広く伝播させたいと思っています。私たちのボランティア活動に参加した人が、職場の仲間や友人・知人におみやげでも渡しながら「東北でこんなことをやってきたよ」と話すことで、少しでも“今”の東北に目を向けてくれる人が増えることを期待しています。
 また、この活動の大きな特徴として、お子さんと一緒に参加できるという点があります。次代を担う子どもたちに、防災の重要性や自然保護の意義を感じてもらう大切な機会だととらえています。参加したお子さんがその経験を学校で伝えてくれて、さらに多くの子どもたちが災害のことを考えるきっかけになればと思っています。
 災害はいつ、どこで発生するかわかりません。被災した方々は口をそろえて「もう二度と同じことが起きてほしくない」と語ります。このボランティア活動を参加者の防災意識の向上につなげたいですし、いざという時に現地の方から聞いた経験を活かしてもらえたらうれしいです。
 

(取材日:2022年4月19日)
 

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