東日本大震災から5年
地域の“絆”と“つながり”の大切さを再認識
2016年3月22日、全国生命保険労働組合連合会(生保労連)はベルサール神保町アネックス(東京都千代田区)で「絆フォーラム」を開催しました。絆フォーラムのテーマは、「地域における“絆”“つながり”について考える」。東日本大震災から5年が経ち、震災から学んだ教訓を再確認するとともに、地域社会における産業・企業と働く者の役割を考えることなどを目的に実施されました。今回は絆フォーラムの内容を前編(講演)と後編(パネルディスカッション)に分けてダイジェストで紹介します。
≪講演≫
「人と人とのつながりによる防災~災害にも強い社会をつくる~」
片田 敏孝(群馬大学大学院理工学府 教授)
私は災害社会工学を専門として、災害への危機管理対応、災害情報伝達、防災教育、避難誘導策のあり方等を研究するとともに、地域での防災活動を全国で展開してきました。特に、岩手県釜石市においては、2004年から児童・生徒を中心とした津波防災教育に取り組んできました。本日は釜石市の津波防災教育の話を中心に説明させていただきます。
釜石市で津波防災教育を着手するにあたって、はじめに突きあたったのが、災害の教訓を語り継ぐことの難しさです。釜石市が位置する三陸海岸は、明治・昭和三陸津波、チリ津波など、100年程度の間隔ごとに幾度となく破壊的な被害を受けてきました。釜石市には、後世に同じ思いをさせまいと、先人の思いが刻まれた34個もの石碑が点在しています。
しかし、東日本大震災前では、津波警報が発令された場合でも避難しないことが常態化していました。津波から得た教訓は忘れ去られ、先人たちの思いが継承されてこなかったのです。子どもは置かれた環境の影響を受けて育ちます。逃げないことが常態化した社会環境のなかで、逃げられる子どもが育つわけがありません。そこで災害の文化を再度構築するために、子どもたちへの防災教育となる「災害文化再生プロジェクト」を立ち上げました。当プロジェクトは、子どもたちへの防災教育を契機に、世代間で災害の知恵を継承し、地域の災害文化として、その知恵が定着することをめざしたものです。
津波防災教育の中心に据えたのは、災害に備える主体性を醸成する「姿勢の防災教育」。「大いなる自然の営みに畏敬の念を持ち、行政に委ねることなく、自らの命を守ることに主体的たれ」という考えがその根本にあります。また、『想定にとらわれるな』『最善を尽くせ』『率先避難者たれ』という避難三原則を伝えていきました。
『率先避難者たれ』と同じ意味として、釜石では“津波てんでんこ”という言葉が伝えられています。津波が発生したら、「てんでんばらばらでも逃げろ」という教訓です。 “一人でもとにかく逃げろ”というと、どこか冷たい印象を受けるかもしれません。けれども、津波の際に命を落とす事例で多いのは、大切な人、大切な家族の安否を気遣い、逃げずに探してしまうケースです。人命の危機がせまったときには、自分の命のことは考えずに、大事な人の命を第一に思ってしまう。それは人間の性ですが、その結果として自らの命を失い、大切な人に悲しみを与えることになるのです。
むしろ大事な人がきちんと逃げていると信じること。大事な人が逃げているのであれば、自分も逃げられる。互いが逃げていることを信じ合う。そうすれば、互いに大事だと思う命が助け合えるのです。“津波てんでんこ”にはそんな意味が込められています。
5年前、東日本大震災が発生したとき、津波防災教育を受けた釜石の中学生たちは、幼い子どもたちの手をとって、とにかく逃げました。手を握り合い、後ろを振り返らず、高台をめざして駆け上がったのです。その結果、多くの幼い命が救われました。行動の源は“絆”です。これが“釜石の奇跡”と呼ばれているのです。